メインブレーキはエンジンブレーキ

中古車情報で知りましたが、長い下り坂ではフットブレーキ(足で踏む普通のブレーキ)だけに頼るととても危険です。


ブレーキというメカニズムは運動エネルギーを熱エネルギーに転換して大気中にその熱を逃しているのですが、あまりひんぱんに使うと冷える間がなくなり、フェードといってブレーキが焼けてしまいます。


こうなるともうブレーキの役目をはたさず、いくらブレーキペダルを踏んでもクルマは止まってくれません。


「はじめに」で紹介した箱根の事故はたぶんこのブレーキのフェードによるものでしょう。


下り坂ではメインのブレーキはエンジンブレーキに頼るべきです。

見通しが利かないコーナーでは・・・

今日は運転について!


・・・見通しが利かないコーナーは"インベタ走法"で走れ山道でも平坦な道でも、コーナリングというのは同じです。


高速道路のところでいったようにコ!ナーの手前でブレーキ、時にはシフトダウンし、コーナーへはゆっくりとしたスピードで進入、コーナーの中心をすぎたあたりからアクセルを踏んでコーナーを抜ける。


いわゆる「スローイン・ファストアゥト」で、ハイスピードコーナリングというものは基本的にはこの通りでいいのです。


つまり、コーナーに入ってから日産 中古車のアクセルを踏むタイミングをいかに無理なく早めるかがテーマなのです。

ダイナミックなスタイルのボディ

トリノのカロッツェリア、ツァガートは、早速、このクーペをベースとして、弾丸のようなダイナミックなスタイルのボディを載せたフルビア・スポーツBSを発表しています。


このモデルの出現でフルビアは、モーター・スポーツにも進出することになり、ランチア・ファクトリーは、さらに、エンジンの強化、ボディの軽量化につとめることになります。


66年には、アクロポリス・ラリーでクラス優勝(総合4位)、そのほか、サファリ・ラリー、サンレモ・ラリーにも上位に入賞するし、セブリングにも挑んだ。


当然のように中古車も売れました。

直線的なスタイルのボディ

フルビアについて^^


直線的なスタイルのボディをもつ地味な小型FF乗用車で、その数年前から造られている中型のフラビアをひと回り小さくしただけのものだった。


珍しい点といえば、新設計の、13度という狭角のV4エンジンを使っていることで、チェーン騒動のツイン・オーバーヘッド・カムシャットつき、というのも、注目を集めた。


このフルビアが、若者たちの間で、日産 中古車のように爆発的な人気を集めるようになったのは、1965年に、スマートなクーペ版があらわれてからのことだ。


エンジンの排気量は、はじめの1099㏄から、1216㏄、80冊になり、最高速度は、160㎞/ん、3速のギアだけで、停止から時速121㎞/んまで引っ張ることが出来た。

後縦車

こんにちは。今日も楽しく中古車検索していました。


さて、前回の続きです。


フィアットのワークス・ドライバーであり、また、すぐれたエンジニアでもあったビンチェンツォ・ランチアが、独立して、自動車の製作をはじめたのは、1906年のことでした。


その時から、ランチアは一貫して、独創性のある、高品質のモデルを生産しつづけてきました。


自動車の歴史に残るような名車も少くない。


戦後のランチアの中で、まず、思い出されるのは、このフルビアだ。


フルビアは、長くつづいたアッピアの後縦車として、1963年の春にデビューした。

加速タイム

加速タイムは実に6・4秒と圧倒的な速さを誇り、最高速度も205㎞/hと、世界のスポーツカーに匹敵していたのです。


エンジンは1982㏄のU20型を搭載。


これはセドリックの2£OHVをOHC化したエンジンで、最高出力は、2基のソレックス44PHHという大径キャブにより、145ps隣/6000rPmというものだった。


67年に内装回りの手直しを受けた後、69年までに数多くのSRが日本を始め、アメリカを中心に売りさばかれた。


日本における最初で、最後といっていい本格的なスパルタンなSRのファンは実に多いのです。


日産 中古車ファンも勿論多いですが^^

他車を大きく上回った

こんにちは。今日も中古車情報に役立つかもしれないお話を・・・★


1600を迎え、フェアレディは円熟期に入った。


しかし、ライバルメーカーが、このスポーツカーのジャンルにこぞって参加し始めた67年、フェアレディ・シリーズの最高峰、SR3-1が送り出されたのです。


ライバルといっても、ハードトップつきで88万円のSR3ーーに比べ、トヨタ2000GTやコスモ・スポーツは、価格の上からも、贅沢さからいっても、上級モデルだったから、誰でも買える、といった代物ではなかった。


SR311は価格もリーズナブルな上に、性能的にも、他車を大きく上回っていました。

世のマニア達は・・・

こんにちは。昨日は日産 中古車情報を調べていました。


比較サイトなんて面白いですね。


さて、フェアレディのエンジンは当時、セドリックに用いられていた1488㏄のOHV。


最高出力は71郎/5000rPmという性能で、870㎏のボティを0-400肌20秒、最高速度150㎞/hまで引っ張ることができました。


しかし、世のマニア達は、さらにフェアレディに期待をかけた。


そうして登場したのが、SP311の型式名を持つフェアレディー600です。


デビューは65年。


昭和40年だから、我国のモータリゼーションもようやく活発になり始あた時期。


SP3-0のエンジンのボアを7・2㎜、広げ、逆に、7・2㎜、ストロークを縮めた90Ps/6000回転の、OHVエンジンが採用されました。


時代にふさわしく、キャブレターはSU型で2連装されていたのです。

技術導入

指定機械を中心とした設備の近代化は、技術面をみれば、専用加工機械を導入し量産体制を整えることでした。


この体勢のおかげで今の日産 中古車があるといっても過言ではありません。


部品工業は、組立メーカーがほぼ技術導入を完了した後でも依然として技術、さらに資本を導入しつづけたそうです。


日銀認可の甲種技術提携をみれば、36年度には厚木自動車部品がフイヒテル・ザック社(西ドイツ)から自動車用自動クラッチの製造技術を導入したことを初めとし、


8社が西ドイツ、フランス(各1社)、アメリカ(5社)、スイス(1社)から空気ばねブレーキ、軸受けメタルの技術を、37年度では三菱電機以下3社がアメリカ(3社)、西ドイツ(1社)から、38年度では、理研ピストンリング工業以下6社が、アメリカ(8社)、イギリス(4社)、西ドイツ(3社)から、


39年度では岩谷産業以下13社がアメリカ(8社)、イギリス(2社)、西ドイツ(1社)から、40年度では住友電気工業以下10社が、アメリカ(7社)、イギリス(3社)、西ドイツ(1社)から、41年度では埼玉機器以下6社がアメリカ(3社)、イギリス、フランス、西ドイツ(各1社)から、42年度では新日商事以下21社が、アメリカ(9社)、西ドイツ(8社)、オーストリア、イギリス、イタリア(各1社)から、

試験検査専用組立

中古車情報によれば、43年3月の自動化率を部品工業会の調査でみれば旋盤、中ぐり盤、フライス盤などの金属工作機械の自動化がいちじるしく(33・8%、調査対象企業数23社、機械1099台、うち自動機械371台)、表面処理設備(調査対象企業数9社、機械26台、うち自動機械7台)、熱処理設備(16・8%、調査対象企業7社、機械12台、うち自動機械2台)とつづいたそうです。


だがプレス勇断機、成型加工機などの金属加工(9・1%、10社、507台、うち自動機46台)、プラスチック加工(8・0%、3社、50台、うち自動機四台)、熔接機(1・9%、18社、158台、うち自動機3台)では自動化が少なく、試験検査専用組立では全く自動化が行われなかったことも注意しなければなりません。